2022年秋、鳥取へ - 2019年に訪れての3年振りの鳥取だ。
9月下旬の旅ともなると日本では台風直撃のリスクもあったけれど、出発前にどうにか台風は過ぎ去ってくれ無事出発。今回の旅のお供の本は、武良布枝著の「ゲゲゲの女房」だ。言わずと知れた故・水木しげる氏の奥さんで、これからその水木さんの生まれ故郷の境港へ行くというのにはちょっとベタなチョイスな感がしないでもなかったけれど、2月に別府の鉄輪(かんなわ)に行った際に藤原新也氏の本「鉄輪」が妙にはまったので、今回もベタな感じのチョイスで。しかし、この「ゲゲゲの女房」のチョイスがなかなかよかった。
フライトは羽田から1時間20分ほどであっという間に通称・米子鬼太郎空港に到着。さっそくゲゲゲのキャラクター達がお出迎えしてくれた。
前回の鳥取旅の到着は出雲空港、そして帰りは鳥取空港(こちらは通称・鳥取砂丘コナン空港)を利用したので、米子空港の利用は初めてだ。それにしても鳥取には空港が2つあるってのが凄い。しかも2つ共に有名な漫画の名前が冠されているっていうのもこれまた凄い。
因みに米子は鳥取の西の端に位置し、もう島根の松江なんかは直ぐ近くで、どちらかと言うとこの辺りは鳥取市文化というよりも松江市文化の方が色濃いんじゃないかという気もしてくる。
今回はレンタカーは借りずに全てローカル線やバスを使って旅する事にしたのだが、各公共機関の乗り物の接続が悪く、なかなか乗り継ぎがうまくいかなかった。とは言え、地方に行けばやはりそんなもんで、乗り継ぎが悪い!なんて、そんな風に思う私の方がすっかり都会人の感覚でモノを考えるようになってしまっているのかもしれない。
とは言え、米子空港到着後、米子市までのバスは直ぐにあったのだが、境港までの電車が飛行機到着後の1時間半後ってのには参った。このまま空港に居ても仕方がないので、空港から境港直行への予定を変更し、まずは米子市へバスで向かう事にした。まずはこの日予約していたホテルに行き荷物でも預けよう、と早速の予定変更。臨機応変に予定変更したりと、これも旅の醍醐味の1つだ。
米子駅前にある銀河鉄道999のようなオブジェ、そして気になる鏡文字になった「ラーメン」の看板。そんなものを横目に見ながら米子駅へ。JR境線の各駅には鬼太郎に出てくるキャラクター達の名前が付いており、米子駅は「通称・ねずみ男駅」だ。そしてホームに行くと「砂かけばばあ」列車が待ってくれていた。
車内のデザインも鬼太郎のキャラクター、そして停車していく駅名にも全て鬼太郎のキャラクター名が冠されており、ゲゲゲの鬼太郎ファンにはきっとたまらない!であろうが、実のところ私はあまり鬼太郎という漫画を読んだことがないのである。TVで放映していたアニメはちょっとばかし私の上の世代であるし、再放送があった頃にはもう私はあまりTVでアニメに観なくなっていた、そんな感じであり、鬼太郎とはちょっとばかしすれ違いでもある。
ストーリーには疎いかもしれないけど、勿論キャラクターには馴染みがあるし、何よりも水木しげる氏は素敵な人物である。境港という町にも興味があり、そんな事もあって今回境港へ行ってみる事にしたのだが、この辺りの地形、よくよく見てみるととてもユニークな形をしている。島根の出雲辺りから、ぐーっと東に向かって半島が延び、その半島を目指すかのように南の方から縦に境港という町がこれまた伸びているという、こんな変わった形をしたところはあまり日本でもそうそうないんじゃないだろうか。
米子駅から40分程掛けて境港駅に到着。この町は改札を出る時からそして出てからもずっと水木しげるワールドだ。
「ゲゲゲの女房」には、なかなか漫画が売れずに清貧な生活を送っていた水木夫妻がやっとヒットに恵まれ、アニメや本でも人気が出始め、遂には漫画のキャラクターが製品化された頃の事を振り返り布枝夫人が本の中でこう振り返っている。
- 『水木が生み出したキャラクターを印刷したものが、子どもたちに愛されているという事が夢みたいだと思いました。』 - それだけ2人共苦労をされたという事であるが、境港は今や町中に水木しげる氏が生み出したキャラクターたちで埋め尽くされている、そう言っても過言ではないかと思う。
駅を出て直ぐに始る水木しげるロードを抜け、暫くの町歩き。郵便局の看板もちょっとおどろおどろしい感じ、そして町中には妖怪たちのブロンズ像やずらっと並び、町中には妖怪に因んだお土産屋さんに溢れ、それらを見ながらの町歩きは実に楽しい。この日は天気もよくいい感じである。
水木しげるロードから道を折れ海の方に向かうと水木しげるさんが幼少の頃から見ていた境水道へと出る。境水道の向こうには先ほど書いた半島が見える。こんな直ぐ近くにある半島が他県(島根県)だというのもちょっと驚きである。
境水道を眺めつつのんびりした後は、本日の昼食、蕎麦屋へ。出雲地方では有名は「わりご蕎麦」を頂く。わりご蕎麦とは割子と呼ばれる丸い漆器にそばを盛り、薬味とそばつゆを直接かけて食すというものだ。割子は3段でした。
お腹を満たした後は、水木しげる記念館へ。コロナ禍の影響もあってから入場制限をしており30分待ち。館内は映像、漫画、妖怪のオブジェなどに満たされており、早い人は30分ほどで見終わる人も居るとの事でしたが、じっくり堪能し、全て見終わるのに1時間程掛かった。
日もちょっとばかし傾き始め、境港を後にするにはそろそろいい時間だ。という訳で駅に向かうと帰りは鬼太郎列車が待っていた。内装も鬼太郎尽くしだ。
さすがにこれだけ見て回るともう妖怪でお腹一杯という感じになった。町中に妖怪、そして水木夫妻の愛が溢れていました。
またまた「ゲゲゲの女房」からの引用になるけど、本の中にこんな言葉があった。
- 「終わりよければすべてよし。・・・でもお父ちゃん、終わりはまだまだよ。あの子が成人するまで長生きしないと」
あの子とは、長女・尚子の息子で私たちのたったひとりの孫のことです。
「100まで生きればいいのか。それはできるだろう」
「いえ、もっと。・・・」と会話は続いていくのだが、折しも今年は水木しげる氏、生誕100周年の年であった。
夕方、米子駅に到着すると空はすっかりと秋模様に - 昼間はあんなに暖かかったのに日が暮れ始めると肌寒くなるあたりさすが、ここは山陰地方だ。
ここから再びバスに乗りもう1箇所 - 海沿いの温泉地、皆生(かいけ)温泉へ。
ここのお湯はとってもよくって湯上りでもしばらく体がぽかぽかと保温性があり、皆生の文字通りすっかりと生き返った。