- 福建省・永定区、客家円楼
竜岩と言う殆どの人が聞いた事もないであろう小さな町に来たのは、そう、客家円楼を見る為であった。客家(はっか)とは中国における嘗ての流浪の民 - ユダヤの民やジプシーの人々のような存在 - で、そもそもは広東省あたりを出自とした人々とも言われ、客家語と言う独自の言葉も持っている。台湾なんかにも客家人は沢山居て(但し見た目では勿論客家人かどうかは分からない)、台北の町の一角には客家料理屋が沢山あるエリアがあったなんかもする。
その客家の人々がこの福建省で、一説にはその昔、外敵から身を護る為に建てた円柱型の集合住宅 - それが円楼と呼ばれるものである。
竜岩のバスターミナルに行くとちょっとした広場に白いマイクロバスが何台か停車しており、行き先に赤い文字で乱雑に「永定土楼」と書かれているバスを見つけ、そちらに乗り込む。乗客はまばらで私の席の前にはどこから来たか分からないが少数民族の衣装を着たおばさんが座っていたが、道中車酔いしたらしく(少数民族の人達は乗り物に慣れていない為か、この頃はよく乗り物酔いをすると聞いていた。気の毒な話だ。)、ずっと気分が悪そうで、その光景が目に入ってくる私も何だか気分が悪くなりそうになりながらも、バスは1時間程走り無事、客家円楼に到着した 。
バスを降りると黒い服を着たおじさんがこっちだこっちだと手招きするので言われるまま小さな事務所らしき建物に入ると - そこには日本人が3人居て驚いた(男性2人で女性が1人)。彼等は年末年始の休みを利用して、日本からはるばるここまで土楼を見に来たらしい。日本から個人の自由ツアーのようなもので厦門(アモイ)まで飛行機で飛んで、そこからここ円楼までやって来て昨晩からこの近くの宿に泊まっているらしい。そうか、今日は12月29日、日本は年末のお休みシーズンだ。
片や私は私でふらっとこの円楼にいきなり現れたものだから、3人の日本人達も私を見て驚いていた。 - 聞くところによるとどうやら客家円楼はこの地区の中でも広範囲に幾つか点在しており、ツアーに参加、もしくはバイクタクシーをチャーターしないと見て回れないらしい。
なるほど、私は何も下調べもせずにここまで来たもんだからそんな事とは露知らず、バスでここまで来ればあとはぶらっと歩いて見て回れるもんだと思っていた。そしてこの辺りに宿泊もできるなんて思いもしなかった。
思案した挙句、今更ここでツアーに参加するのにも余計にお金が掛かるし、バイクタクシーをチャーターして見て回るのも疲れそうだ。そもそも竜岩市に宿を取ったままでもあるし、今日の最終のバスに乗って竜岩市まで戻る事も考え、更には折角こんな山の中まで来たのだから1人でのんびりしたいな、という気持ちの方が勝った。
幸い、歩いて行ける円楼が2つ3つあり、それらを見てこのエリアの雰囲気を味わったり、食堂でご飯を食べ、あとはのんびりとここで過ごしたいな、という気持ちになった。
そんな訳で3人とは別れを告げ(3人共、こんなところまで来てツアーに参加しないのは勿体無いとしきりに言っていたが、、)、私は歩いて見れる円楼 - 目の前にあった環興楼と呼ばれる円楼や他の幾つかの円楼へと向かった。
外から見ると只の筒状だったものが中に入ると驚いた - それは正に集合住宅となっており5階建てや小さいものは3階建てほどの高さに入り口が幾つも並び、沢山の人々が居住できる空間になっていた。
中は(当然ながら)巨大な吹き抜けになっている。その吹き抜け部分は共同エリアになっているらしく犬が飼われて居たり、放し飼いになっているニワトリが自由に歩き回っている。
実に素敵な空間であった。
沢山の種類の円楼は見ることができなかったけれど、近くの食堂で昼食を食べたり、道に座ってのんびりと外から円楼を眺めたりと何だかんだとこのエリア - 客家円楼 -を満喫することができた。
夕方近くまでここを堪能し、無事最終のバスに乗って竜岩市まで戻る事ができた。
小さな町、竜岩 - ちょっとした素敵な出会いもあり客家円楼も堪能でき私としてはとても思い出深い町の1つとなった。いつかまた土楼を訪れもう1度もう少し機材を整えて撮影も行いたいとも思うが、この頃私が見た景色というか雰囲気は今も変わらず残っているのだろうか。
ここはモノクロフィルムで撮っていたのだが、カラーで撮った写真が1枚だけあった。