ユーロビートが聴こえてくるよ - 大同・中国 2003

 ー 山西省・大同

 北京で購入した路線図を眺めてみる-北京から南にぐーっと下がると曲阜という街がある。ここは孔子の生誕の地である。儒教にさして興味がある訳ではないが、曲阜には孔子の子孫も多く住み、孔性の人達も多い街だと聞く。一方、西に目を向けると大同という地名が目に止まる。ここには、中国三大石窟の1つ-雲岡石窟がある。曲阜と大同、どちらに行こうか散々迷った挙句、大同に行く事にした-それは高校時代に教科書で習った雲岡石窟、それをやはりこの目で見てみたいと思ったからだった。

 仁川のフェリーターミナルで奇跡的な再会を果たした高校時代の同級生・繁樹は私より一足先に北京を発ち、列車で一気に西の果て、ウルムチまで行っていた。列車で2泊3日の旅らしい。そこから国境を越え、隣国カザフスタン、キルギスなどを経由しアゼルバイジャンまで行くとの事であった。

 中国を旅慣れている彼から勧められて、北京では”中国鉄路游”と言う路線図と鉄道の時刻表の2つを購入した。-この2つが実に万能でこの先の私の中国での旅にとても役に立った。
 
 例えば、路線図で北京市のページを開く。そこには北京から出発する全ての路線が網羅され、ページの隅に記載された表には出発駅・到着駅、そしてそれらの列車番号が一覧で記載されている。今回購入した「北京西」-「大同」の切符はK713とK715 の2路線がある事が分かる。今度はこのK713 とK715を時刻表で調べて、移動可能な時間帯か吟味する、という具合である。勿論、全て漢字で記載されている訳であるがこれは漢字が読める日本人の特権であるとも言え、よって、中国の旅は我々日本人にとって、ぐっと旅しやすくなる。

 路線と時間帯が分かったら、次は実際に駅に赴きを切符を購入する。ここでまた漢字が読み書きできる特権的なものが生きてくる。繁樹がよく口にしていたインチキ漢文というやつで、行き先や列車番号を事前に小さい紙に漢文として記載しておき、窓口で自分の番が回って来たら、切符売りの人にそっと差し出す。
例えば私がよく使ったのは(その時々で色々アレンジもしたけど)、

 『我要明天的票到大同 K713』
 
 みたいな感じである。我要はI want、明天はtomorrow、票はTicketとなり、あとは大同まで。最後に列車番号を記載しているのでこれで窓口の人は、ちょっと文法の分からない中国人なのかな?ぐらいな感じで対応してくれて、切符を売ってくれる。この方法で私は中国の駅の窓口で100%切符を購入する事ができた。
 -行きたいと思うところに誰にも頼らず自分で自由に行ける-これはとっても素晴らしい事で、おかげで中国の旅にはまってしまい、結局この後、中国を2ヶ月、2年後に再び1ヶ月ほど-トータル私は中国を3ヶ月ほど旅する事となった。

 12月1日、北京西駅を朝出発した列車は雪原の中を走り、夕方4時半に大同駅に到着した。宿は駅前で直ぐに見つかった。4人部屋のドミトリーであったが滞在した2日間、私以外に他に旅行者は現れなかった。
 
 宿の入り口に設置されていた温度計には「-11℃~-1℃」と表示されていた。

 さて、翌日早速、雲岡石窟へ行ってみることにした。久々の快晴である。
 雲岡石窟へはまず大同市内からNo.4のバスに乗り、新開里へ。そこでバスを乗り換え今度はNo.3に乗ると雲岡石窟まで行けるらしい。この当時、私はガイドブックを持たずに旅していたのだが、これらの情報をどうやって引き出していたのか、、恐らくホテルの人に聞いたと思うのだが、その辺りの記憶が定かでないのだが、まぁ取り敢えずは色々とどうにかなるものである。

 新開里からのバスはとってもおんぼろバスで途中エンストして3回も止まってしまい、その度に乗客みんなで降りてバスを押し、エンジンを掛ける-という具合で進むというものであった。しかし、そんなトラブルも日常茶飯事なのか誰も嫌な顔一つせず、寧ろとても楽しそうであった。

 雲岡石窟は中に入るのに60元も掛かった。日本円で約900円ほどであるが、この時滞在していた宿が35元、夕食は10元程で済ませていたのでなかなかの高額である。とは言え、中の石窟群、そして天井のレリーフなどは素晴らしかった。北魏時代に造られたそれらの石窟群はまさに北魏文化爆発!であった。

 それにしても中はガラガラ、今はオフシーズンなのか、観光客もまばらで他には観光客を撮影しているカメラマンがぽつんと居るだけであった。

 帰り、新開里までのバスを待っていると猛スピードで中型のワゴン車が目の前で急停車し、中の兄ちゃんが、身振り手振りを交えながら「新開里?乗れ、乗れ」と言う。値段を聞くと「2元(30円)」と言う。「ここまで来た(おんぼろ)バスは1.5元だった。」と私が言うと、にやりと満面の笑みを浮かべ、「ハオ(好)、ハオ(好)」と言って1.5元に負けてくれた。交渉成立である。

 しかし、乗ってみると(当たり前だが)、エンストで止まる事もない。スピードも全然違う。だからそもそもの値段が2元だったのかもしれない。
 車内では何故かユーロビートがノリノリで流れ(中国なのに何故ユーロビート?)、車窓からは茶色く染まった山、凍った川が見える。そんな中を自分を乗せたワゴン車は猛スピードで走り抜けていく。

 ユーロビートを聴きながらそんな風景を目の前にしていると何だか旅しているなぁと、どっぷりと旅の世界へと入っていくのであった。
 
 

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