流れる風景の中、バスは大分空港から別府市内までひた走る - 前回の別府の旅はお昼過ぎに空港に到着したせいもあり、別府市内までの車窓の風景は照り付ける強烈な日差しの中に映える青い海、そして背の高い椰子の木(フェニックスか?)など初めて見る事もあってか、どこか宮崎の海岸線を思い起こさせてくれ、「そうかこのまま南下すれば宮崎だもんな」なんてそんな事を思ったりもしたものだ。
- 今回は一転して到着は夕暮れ時。以前に感じた宮崎らしきものはあまり感じず、どちらかというと穏やかな海ばかりが印象に残った。九州で瀬戸内海というのはあまりイメージできないが、そうかこの辺りもまだ瀬戸内の海なんだな、なんて事を改めて思い出す。 - それにしても景色というものは、その時その時の心情だったり時間帯によって随分と私達に与える印象というものが違うものなんだなぁ、なんて事を思ったり。
別府到着後はこの地に移住した友達と再会し別府の美味しいものを食しへ - の筈が、コロナ禍のこの時期のせいもあり休業中のお店が多く、町中は随分閑散としている。それでも全てがクローズしている訳でもなく、ようやく見つけたお店に腰を落ち着け久々の再会に乾杯 - そして今回は思いがけず懐かしい人達の参加もあり、そんな人達と別府の美味しいものを食してきた。
以前長崎と大分の違いについて少し触れたけど、”食”に関しても然りで、同じ九州でも長崎では見かけないような食材も並び、到着早々早速に大分らしさを感じた、そんな夜だった。
鉄輪(かんなわ)は別府駅からバスで20分ほど走った山間にある温泉街だ。いかにも湯治場と言うか温泉街とでも言おうか、町中を人々は浴衣に下駄そして手ぬぐいでも肩から掛けて歩くのが似合いそうな町である。
別府から鉄輪までの移動はバスという事になり、20分程度で到着することができる。
2年前、鉄輪まで行ったある日、帰りのバスが別府駅までは複数路線あり、あまり考えずに乗り込んだところ、来た時より倍ほど時間が掛かるルートのバスであった。なので今回は来た時と同じバス番号に乗って戻る事とした。これなら同じルートであるので帰りの時間も20分程で駅に到着した。
山間の道を暫く走ると急に視界が広がり遠くに別府湾、そして別府のシンボルとでもいうべき別府タワーも見えてきた。思いがけずの開けた光景に今回、何だかちょっと得した気分になった。
昭和を感じさせる別府の町中を歩いている折、「ちゃんぽん」屋を見つけた。
早速中に入りちゃんぽんを注文 - 長崎のそれとはちょっと違い麺はやや細めで、味も鶏がらベースというよりももう少し豚骨寄りでラーメン的要素も入っているものであった。
以前、愛媛の八幡浜というところに行った際に、町のあちらこちらに「八幡浜名物ちゃんぽん」という看板やら幟を沢山見かけた。その時は食する機会はなく「何故八幡浜にちゃんぽん?」位にしか思っていなかった。
その八幡浜から別府まではフェリーが就航している。こうして思うと大分は繋がってこそいないけど愛媛の隣県なのである。町中に四国らしさをあちこちに感じるかというとそういう訳でもないけど、やはり食の影響なんかはあるのでは、と思っている。先に写真を載せた鯛なんかは宇和島でも有名である訳で。
そう考えるとこのちゃんぽんは、長崎から阿蘇や由布岳を越えて伝わってきたというよりも八幡浜から来たものではないだろうか。(そうと確定した訳ではないけど)九州にありながらも四国文化などの影響を受けていると思うとやはり大分の文化というものは私が生まれ育った長崎とはちょっと違うなぁと改めて思ってみたりもした。
大分と四国との繋がり、色々と調べてみるとこれはこれで面白そうでもある。
今回の旅のお供に選んだ本は「温泉天国」 - 色んな著名な方がそれぞれの視点で描いた温泉エッセイだ。出発前の羽田空港なんかで読むには持って来いとでも言おうか事前の気分が盛り上り良かったのだが、別府到着後は何だか気分にそぐわない。別府の地にいながら、内容が湯河原だの箱根の話になるとどうも、こうマッチしないとでも言おうか、ピンと来ないと言うか。。
そこで、もう1冊持ってきていた藤原新也の「鉄輪」を読むことにした - 鉄輪の地で「鉄輪」を読むってのもちょっとベタな気もしたのだが、これがなかなかよかった。この本の「鉄輪」は嘗てまさに鉄輪に暮らした藤原新也氏の自伝的小説だ。
鉄輪の足岩盤浴に座りしばし「鉄輪」を読書する。ページをめくっていくとその中に「谷の湯」に関する短い話と写真が掲載されていた。折しも丁度前日に「谷の湯」を訪れ写真を撮っていた私はデジカメを取り出し、自分がどんな写真を撮っていたか見てみる事にした。そこには何と似たような構図で撮っていた私の写真が液晶画面に映し出され1人嬉しくなってしまった。
何と言っても藤原新也氏は私が大好きな写真家の1人である。そんな彼と似たような構図で撮っていたのは何とも嬉しい事である。藤原氏が本の中の写真をいつ撮影したのか不明であるが、写真をよくよく見比べると建物の脇の道の感じや奥にあるミラーなんかも昔と今も変わっていないのがよく分かる。奥にある蒸気が出ている辺りが今とちょっと違うようである。
因みにこの「谷の湯」は浴場の中に不動明王様が鎮座する正に霊験あらかたな湯場である。お不動さんに見守られ正に湯垢離(湯ごり)する、そんな旅もおススメです。
湯の町にはネコがよく似合う。と言いつつも私が好きな上州草津の湯辺りではあまりネコは見かけないような。。
ここ別府は海に近い為かネコなんかも沢山いるのだろうか。今度草津でネコ探しの旅でもしてみるか、そんな事を思ってみる。
最近温泉を訪れるとよく見かける看板の1つに「黙浴」というものがある。勿論コロナ禍になってからの言葉で先に言われ出した「黙食」から来た言葉からと思われるが、私のPCでも「もくよく」と書いても勿論上手く変換されない。というよりもやはり「沐浴」と変換される事から、どうも言葉だけ聞くとインドのガンジス川辺りの沐浴をイメージしてしまうが、もちろんこの「黙浴」はそんな「沐浴」とは意味が違う。
2年前に訪れた明礬の共同浴場でも、別府の竹瓦温泉でも湯の中では地元の人や旅行者に話しかけられそれこそ湯の中でのひとときの出会いを楽しんだものである。そして共同浴場では隣の女湯からは高らかなおばちゃん達の声が聞こえてきたり、、とそれも温泉の魅力の1つであった。
が、今はしかし「黙浴」である。1人黙って湯に浸かる。それはそれで何だか寂しいというか温泉の魅力もちょっと半減している気もする。早くこの「黙浴」という言葉もなくなる、そんな日を待ち遠しく思う。