- バガン
ミャンマー中部の小さな村・ピィーからバガンへ - 行くはずが乗り込んだバスは直行便ではなかったらしく、途中のジョブローというよく分からない小さな町でいきなり降ろされた。運転手曰く「バガンはここで乗り換えで次に来るバスに乗ってくれ」とのこと。それはいいのだが、この時、深夜の1時10分、そしてその乗り換えバスは朝の3時に来るらしい。。
めちゃくちゃなスケジュール、そして、ここに来るまでにエアコンの効いてない車内の窓を全開にしていた為か全身砂まみれである。
幸い、バスを降ろされた所に1軒の茶屋があったので、そこでサトウキビジュースをのむ事にした。それにしても眠い。
暫くすると別の席でラペイエというミャンマーの甘いチャイを啜っている2人組みの若者男子が「Where are you from?」という感じで話しかけてきた。
色々話していると彼等はマンダレー観光から帰って来る途中、ここで休憩がてらお茶をし、これから彼等の地元・バガンに帰るところだと言う。因みにいうと私がピィーから乗ったバスはマンダレー行きだったのでここがやはり丁度、ピィー、マンダレー、バガンへの分岐点の町のようだ。
私もバガンに行く予定がここで降ろされてしまった話をすると、何と彼等は何のためらいもなく「それじゃー、バガンまで送っていってあげるよ」と申し出てくれた。見るからに人が良さそうな兄ぃちゃん達と言った感じであるし、途中身ぐるみ剥がされることもなさそうだ(この辺り、過信は出来ないけど長く旅をしてくるとどんな人が怪しくて、どんな人が大丈夫か、というのが何となく分かってくる)。
私としても早くシャワーでも浴びてベッドに潜り込みたいところであったのでありがたい申し出であった。
早速車に乗り込み、バガンまでの細く、暗いでこぼこ1本道をひた走る。その1本道をすーっと暫く走っていると大小様々なパゴダ(仏塔)が見えてきた。そう、ここは仏教3大遺跡の1つに数えられる町で、ここにあるパゴダの数は2,000かそれ以上と言われているところである。
折しもこの日は満月に近かったのか、真ん丸のお月さまに照らされたパゴダがシルエットとなり青味掛かった空に映し出され、それはそれは幻想的な光景であった。
ここ、バガンにあるパゴダのいいところは、幾つかのパゴダはその上部に行く事ができるということだ。
パゴダ内部に入り、その内部にある狭い階段を登るとパゴダ上部のちょっとした広い空間に出る事ができる。その建物上部の縁に腰掛け、どこまでも広い平原に広がるパゴダを見渡したり、何も考えずにそこに腰掛けているだけで、実に旅情気分を味わえるものである。
4月のミャンマーはとても暑く日中は活動できない位だったけど、日が傾き始めた頃に自転車でパゴダへと出掛け、せっせとパゴダ上部に上り、遠くパゴダの後ろへと沈みゆく夕日を眺める - そんな私の周りには地元の人達や私と同じようにアジアを長く旅しているバックパッカー達が居て、共にこんな綺麗な時間と景色を共有する、そんな日々だった。
ある日、いつものようにパゴダの上に登り、この日は三脚を立てて夕景を撮っていた。一通り撮影が終わり、三脚からカメラを外し、バッグに仕舞っている時に突如突風が吹き、三脚が飛ばされて地面下まで落下してしまった。幸い、下には誰も居らず通行人に直撃しなかったのは良かった。それにしても先に三脚を折り畳んで横にでもしておくべきであった。
急いで下に降り、三脚を拾い上げるとやはりというか、やっぱり三脚とカメラを固定する部分が壊れていた。丁度近くを通りかかった地元のおじさんが、英語は話せなかったけど、何やら付いて来いという仕草で歩き始めた。暫く歩くと彼の家に到着し、部屋の中からボンドを取り出してこれで固定してみては?という具合に私に差し出してくれた。
しかし、やはり簡単にボンドで元に戻る訳はなく、この三脚はバガンで棄てる事となってしまった。日本から持ってきて共に半年旅をして、あろう事か旅の最初の方で上海の宿に置き忘れたけど、その後手元に戻ってきてくれ、なかなか愛着もあったのだが、自分の不注意でこうなってしまった。
まぁ仕方がない。
それにしても、きっと元には戻らないだろうと思いつつも、家まで招いてくれてボンドを貸してくれたこの初老の男性には感謝である。ミャンマー人はかくもこのように親切な人たちなのである。
結局バガンには1週間滞在し、やった事と言えば、昼は宿でのんびり過ごしたり、宿近くの通りをちょっと歩き、少しばかり涼しくなり始めた夕方頃になって自転車に乗ってパゴダ巡りをする。そして夜になるとここで会った(会ったというかばったり再会した)旅人と一緒にビールを飲んだり、ご飯を食べ沢山の色んな話をする、そんな毎日であった。
思ったよりも簡単に沢山のパゴダを巡る事ができたし、何よりここに来る時、そして滞在中にも地元の人たちの優しさに触れる事ができた事は私の(旅)人生において、何よりの財産となった。