ある晴れた日の午後、篠山紀信さんの「新・晴れた日」を観に出掛けてみたり

 梅雨明けは突然に - なんて、90年代のドラマのタイトルっぽいけど、ここ最近の梅雨明けは突然だ。

 - そもそも関東地方の梅雨明けはこんなものなのかどうか分からないが、私が育った九州では梅雨の終わりと言うものがある程度予想する事ができた。それは、長い雨の季節が続いた後に、(梅雨と言う季節にとっての)最後の一踏ん張りとでも主張するようにもの凄い量の雨が降り、雷鳴轟き、まさに普段とは一味違った雨の降り方をし、うちの母親なんかはよく「今回はよく降るけどこれでもう梅雨は終わりだね」なんて口にしていたものだ。そんな言葉を聞くとなるほど、この最後の大雨が終わればいよいよ夏がやってくるのだな、と予想できていたものだが、最近はその最後の一踏ん張りと言うような雨が常態化してしまって、梅雨の終わりというものが何だか曖昧になってきたように思う。

 そして、今年の関東地方は私の誕生日の7月16日と共に明け、あんなにどんよりした日々が続いていたのにいきなり夏になってしまった。

 そんな梅雨明け直後の暑い夏の昼下がり、篠山紀信さんの展示「新・晴れた日」を観に恵比寿の写真美術館を訪れてきた。

 到着してみると写真美術館の入り口近くに行列ができている。以前、同じくこの美術館で開催された「写真家チェ・ゲバラが撮った世界」展を訪れた際と同じ場所、同じような行列である。今回の展示も昨今の展示と同じように完全予約制で、割と余裕があって予約できたのだが、会場はやはり混んでいるのか、と思いつつ並んでいると、皆、手に手に紙を持っている。ー どうやら問診票のようである。私も問診票に記載し列に並び直し、さぁ入場、と言う段になると係りの人が私の問診票を見て「お客様、席番号が記載されていませんが」と不思議な事を言う。「写真展なんですけど。??」と返答すると、何と私が並んでいたのは隣の建物の「ザ・ガーデンルーム」の方であった。何とも紛らわしい。。写真美術館の方は問診票の記載も並ぶ必要もなかったらしく、暑い中ちょっとばかし無駄な時間を過ごしてしまった。


 気を取り直し、無事入場。展示は3階と2階に分かれており。3階から順に巡っていくようだ。

 幸いというか、然程混んでもいない。入り口で立派な冊子を渡されパラパラっと中を捲るとサムネイルのモノクロの写真と篠山紀信さん自らが記載したと言う解説が記載されている。会場内にはキャプションはなく写真番号とそのタイトルのみで鑑賞者はその冊子の解説を見ながら鑑賞する仕組みのようだ。

 最初、私は貰った冊子の中を見る事なく展示された4,5枚の写真だけを見ていたら、周りの皆は熱心に冊子に目を落としており、その時、冊子に解説が記載されてある事に気が付いた。解説があるとぐっとその作品の事を知る事ができる。でも、あまりにも読み過ぎると頭でっかちになり過ぎるというか、作品よりも解説の文章の方に集中してしまう事がある。 - なので展示の時、私は作品の横に貼られた解説はあまり熱心に読まなかったりする(何だかとてもぐっと心惹かれたものは熱心に読んだりする時もあるのだが)。

 が、今回は手元にある冊子で読みやすそうでもあるし、まずは解説を読んで作品を見て回ることにした。なるほど、60年代70年代に撮影された写真は解説のみならず、そこに写っている被写体が誰であるのかの記載も当然あるので分かりやすかった。しかし、3階の展示を見終わって、2階に移動した時にふと、やはり写真よりも書いてあることに気が行ってしまっている事に気付き、ひとまず冊子は封印。写真だけまず見て、全て見終わった後に冊子を読むことにした。 - やはり私にはそのやり方の方が合っていたようで、この観かたの方が作品がぐっと自分の中に入ってきた。

 2階では特に、人間関係シリーズの「いかりや長介さんと坂本美雨さん」やスナップ的に撮った「少女たちのオキナワ」、今は何だか懐かしい(解説にも似たようなコメントが書かれていた)「宝生舞」さんのショットなどなどぐっときました。
 2階の2番目(だったと思う)に展示されていたTOKYO NUDEの「表参道 結晶のいろ」が何とも摩訶不思議で、とても美しい写真でこれを見た時に、あぁ解説をじっくり読みながらでなく、まずは写真だけをじっくりと観よう、そんな風に思わせてくれた作品で、好きな1枚でした。

 さて、私の「新・晴れた日」と言えば、先日、草津で知り合った日本に住んでいるドイツ人と日本人カップルのお宅にお招き頂いて、彼等のルーフトップでBBQをやってみたり、普段から仲良くしているカメラマンさんとお酒を買って、多摩川で飲んだりとそんな感じです。

 これこそ今の時代に合った人との付き合い方であったり、そんな交流もそれはそれでいいなと思ったり。これぞまたに「新・晴れた日」と自分なりに納得してみたり。

 夕暮れ時は、相変わらず鶴見川沿いを毎日のように自転車で走っているのだが、空も光もとても美しい季節だ。
 先日帰り道にちょっぴり迷ってしまい、そのおかげ、と言っては何だが、空を見上げると素晴らしく赤い夕景が目の前に現れた。
 
 - いきなり始った夏、そして今年もコロナ禍の夏の日々ですが、それぞれの夏、楽しみましょう。

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