- トゥアティエン=フエ省・フエ
ハノイの東にハロン湾あり - 奇岩の景勝地で知られるここハロン湾には1泊2日、食事付きで16ドルと言うツアーで訪れてきた。日が出ている内に湾や鍾乳洞などを巡り、夜はクルーズで使用した船の中で食事、そしてそのまま宿泊となるツアーであった。
船でゆっくりと湾内をクルーズし、夜は夜で船内で一緒になった他の旅人と食事したり、飲んだりして過ごす時間はとても楽しいものであった。
ある旅行者が言うには、中国南西部の桂林からこの奇岩が南へ - つまり海まで伸びハロン湾という景勝地を作り、最後はどんどんと海に沈んでいく、というような事を言っていた。
なるほど言われて見ると桂林辺りで見たのと同じような景色、つまりは桂林の海版のような景色が延々と続いている。
片や、ある伝説によるとその昔、この地が中国より攻められた際に龍が上空に現れ、宝石を吐いてその攻撃を凌ぎ、そしてその宝石が後々奇岩になった - と言うのである。
成り立ちについては旅行者の言か伝説か、どちらもあり、のような気もする。
翌朝、ハノイに戻り、その日の夜行バスで次の目的地 - フエへと向かった。
ベトナムは本州より1周り程大きい南北に細長い形をしている。
北のハノイから南のホーチミンまでその距離1,800km、その区間をオープンツアーバスと呼ばれるものが走ってる。
ハノイで購入したチケットはホーチミンまで行く事ができ、そしてありがたい事にチケットの有効期限の1ヶ月内であれば途中の主要な都市に好きなだけ滞在できると言う便利なチケットだった。
因みにこのチケットを扱っていたのは当時、2箇所の旅行代理店 - キムカフェとシンカフェの2つがあり、私は自分の名前に因んでシンカフェの方を選択した。
- 利用方法は例えばこうだ。まずハノイのシンカフェでチケットを購入し、ホーチミンまでの間で自分が滞在したい都市を申し出る。今回私はフエ、ホイアン、ムイネー、ホーチミンと巡る事にした。これでバスのチケット代が決まる。 - 私の場合はチケット代はたったの18ドルであった。ハノイからホーチミン、その距離にして1,800km(日本で言うと青森から熊本辺りまでか)をたったの18ドルで移動出来てしまうのだ。
各都市に移動した後、何日か滞在後、再びその町のシンカフェに行き、バスの予約をして移動、その繰り返しとなる。
夜7時に出発したバスは翌朝7時にフエの町に到着した。到着予定時刻は10時と聞いたのに3時間も早く到着した。その為、最初そこがフエだと分からなかった。ドライバーに何度も確認すると確かにフエだと言う。遅れるよりかは遥かにいいが、3時間も早く到着するとは一体どういうスケジュールなのであろうか。
到着してみるとフエはハノイの喧騒とは打って変わってとても落ち着いた雰囲気がある。町中にはフォーン川(漢字で書くと香河)が流れている。旧市街地と新市街地を2分しているその川から時折爽やかな風が吹いてくる。
ここはベトナム最後の王朝 - グエン王朝があった北方の古都でもある。
嘗てフランスの人々にプチ・ペキン(小北京)と呼ばれていたこの町の中心には王宮がある。一見すると確かに中国にありそうな、というよりも紫禁城のミニチュア版のようだ。門の中心にはホーチミンの肖像画が掲げられているが、これが毛沢東であればまさに中国の天安門でもあるようだ。
野良犬がのんびりと過ごしているところは街も人もやさしい - 何かのエッセイでそんな話を読んだ気がする。ベトナム戦争時の激戦の地となったここフエも、時折戦争の面影を覗かせるような場所もあるが、今はそんな面影を残しつつものんびりとした時間が流れている。
ハノイに入ってからはぐっと暖かくなったが、時折冷える日があったり、夜はやはり涼しい日々であったが、ここフエに入ってからはようやく私がイメージしていたバックパックの旅 - 短パン、Tシャツ、サンダルで1日中過ごせるくらい暖かくなってきた。ここからようやく東南アジアの旅が始まったようでもある。
ベトナムに入って今日で10日が過ぎた。 - 滞在できる期間は残り5日。滞在延長の手続きが出来るOfficeは旧正月の為クローズしていたので手続きは次の町、ホイアンで行う事としよう。