- ラオカイ省・サパ
広西チワン族自治区の桂林から列車で23時間掛け雲南省の省都・昆明までやって来た。11月23日に中国に入国してから約2ヶ月北から南へと色々と旅してきたがここでいよいよ中国ともおさらばである。昆明から南下するとラオスかベトナムに入国できるのだか、今回の旅はベトナムに入国する事にした。
本当は、昆明から更に北上し雲南省をもう少し旅したかったのだが、ここ昆明ですら - 見た目は普通の都会であるのだが - 驚いた事に標高が2,000m弱ある。先に昆明から北上した旅人より受け取ったメールによると麗江(リージャン)から先は冬で路面が凍結している為か、麗江より更に北へは今の時期行く事が出来なかったと言う。私は雲南省を旅するなら麗江よりも更に北にも行ってみたいという思いがあったので、ひとまず今の時期は諦めベトナムに南下する事とした。
この日2004年1月10日 - 実はちょっとややこしいのだが、2004年1月1日からベトナムVISAが不要になり15日間は滞在できるというルール変更の時期に丁度重なっていた。但し、ベトナム大使館のホームページなんかを確認するとVISA無しで入国出来る条件として「往復航空券または代位三国行き航空券を所有していること」 -と割と当たり前の事が記載してあるが、陸路入国の場合どうなるか?という記載がない。
念の為、中国で会った旅人で先にベトナムに入った人(この方は2003年時に入国していたのでベトナムVISAを取得して入国していた)にメールしてみると以下のような返信が返って来た。
- 「宿の人の情報によると、1月1日には陸路入国で入国審査所で結構もめたりもしたらしいが、結局誰かが前例を作った為か、現在どしどし陸路ビザなしでベトナム入ってきているみたいですよ。」との事であった。
という事で私もこの先例に従い1月15日、昆明の宿で出会った旅人達に見送られベトナムとの国境の町・河口へと向かうべく深夜バスに乗り込んだ。 - 結局この時ベトナムにVISA無しで入国は出来たのだが滞在延長を巡りちょっとしたトラブルに巻き込まれる事になってしまった。その事はまた後日書く事としよう。
7時AM、国境の町・河口に到着した。寝台バスはいつもの中国の寝台バスらしくベットが備え付けられてあるタイプで、完全に体を横にして眠る事ができ、尚且つ雲南省の夜の景色を満喫する事ができた。
満天の星空。まさに天然のプラネタリウムを眺めながら移動してると言った感じでもあり、この日見た星空は間違えなく私の人生ベスト3に入る星空であった。
中国の陽朔で出会った韓国人のチャンとはここまでもずっと一緒に移動してきた。
チャンと2人でベトナム側の国境の町 - ラオカイ - までのバスを探してうろうろしていると橋を発見。そしてその橋の向こうに赤地に黄色のワンスター - ベトナムの国旗が翻っている。どうやら歩いてこの橋を渡りベトナムに入国するようである。なるほど博多から釜山、そして仁川から天津へは船で入ったので、いつの間にか次の国へ入国していたのでどこが国境か分からなかったが、ここは橋の真ん中が国境になっているようで、歩いてベトナム側へ渡るようである。
しかし早朝の為か国境はまだ開いておらず、暫し橋の袂に座って開くの待つ。
(国境は24時間開いているもんばかりと思っていた。)
そこへ1人のぽっちゃりとした中国人の男の子がやって来た。手には買い物袋をぶら下げている。こんな朝早くからどこへ行っていたのであろうか。
彼とはいつもの如く筆談でちょっとばかり話をした。中国では様々な人と出会い、時には助けられこれまで無事に旅を続ける事ができた。そして彼が今回の中国旅で出会った最後の中国人となった。
暫くすると国境が開いたのか、橋の向こう側からベトナム特有の三角形の編み笠を被った人達が大量に橋を渡りだしたので、我々も出国手続きを済ませベトナム側の入国審査所へと向かった。 - さらば中国
(そしてここからモノクロフィルムからカラーポジへとチェンジ)
橋を渡りベトナム側に到着すると出入国管理所があった。中国側の出入国管理所はコンクリート造りの立派なものであったが、ベトナムのそれはこう言っては何だか掘っ立て小屋のような簡素なものであり、言われないと出入国管理所とは分からないような造りであった。
そう考えると国境とは実に不思議である。橋を1つ渡っただけで匂いも変わり、気候もぐっと東南アジア的な亜熱帯になったような気もする。当然ながら使えるお金を変わるし人種も変わり、国の考え方も変わる。そう橋を1本渡っただけなのに。
チャンと2人で係員にパスポートを渡すと2人のパスポートを手に奥の部屋へと消え5分位して戻ってきた。そしてまずはチャンのパスポートにガチャンと、引き続き私のパスポートにガチャンと入国スタンプを押してくれた。無事VISA無しで入国する事ができた。これで15日間はベトナムに滞在できる。15日間を過ぎる場合は滞在延長しよう、とこの時はそう思っていた。
取り敢えずベトナムのお金、ベトナムドンを手に入れよう - それが我々に課せられた第一の使命である。 - 両替所を探してみたが、この辺りにある建物と言えば出入国管理所のみのようである。
仕方がないので2キロ先にあるラオカイ駅を目指してみる事にした。 - と言うのも嘗ては中国・ベトナム間は国際列車が走っており、ラオカイ駅はベトナムの最北端駅と言う事になるので、その名残で両替所があるかもしれないと思ったからだ。
因みにこの国際列車は何年か前の土砂崩れで線路が寸断され、その後の両国間の関係悪化も影響してか、この時、そして現在もこの路線は寸断されたままである。
さすがに15キロ近くあるバックパックを担いで2キロも歩くとへとへとになった。しかし、ここまで来ても両替所は見当たらない。駅前のベンチに1人の英国人女性が座っており - 彼女はバイクで旅をしているという。 - 彼女に両替所の事を聞いてみるとどうやら彼女も探しているらしいが、この辺りには無さそう、との事であった。何てこった。
駅前にサパ行きのミニバンが止まっていた。値段を聞くと20,000ドン(1$は15,000ドン)と言うので、今ドンを持っていないので1ドルで行ってくれないか?と頼み込むと、意外にもあっさりとOKしてくれた。そんな訳で取り敢えずサパへ。1時間ちょっと山道をミニバンは走り、霧深かき高原の町、モン族が暮らすサパへと到着した。
翌日、チャンと近くの山へトレッキングへと出かけた。出掛ける途中、町中にはモン族とは別に赤い衣装を身に纏った少数民族 - 赤ザオ族の姿もちらほらと見かける事ができた。
山中には沢山のモン族が暮らしていた。 - 屋外で刺繍作業をしていたり、その日の獲物であろうか豚を担いで坂道を駆け下りてくる男性達の姿などを眼にしたり、そして中でもよく遭遇したのが何かを売ろうとしてくるモン族だ。売り物は特に口琴売りが多く - 口琴とは金属状の棒(アイスの棒のような感じ)を口にあて、棒の先が真ん中から割れた形状になっていて、それを手で弾いて音を鳴らすというものだ。ちょっとした電子音のような低い倍音が鳴り響くというお手軽な楽器だ。
私も1つ口琴を買い求め、これは今でも大切に持っている。私にとってサパとはモン族、そしてこの口琴というイメージだ。
昨今のSNS流行で近年アップされるサパの写真を見るといつも驚く - それは中国のどこか一地方都市のような煌びやかさのある町に変貌していたからだ。写真を見ただけで町の変わりようの全てを知る事はできないので、本当にサパの町が変わってしまったかどうかは実際にまた訪れてみない事には分からないけど、少なくとも私の中でのサパは以下に列挙するこの時撮影した写真のイメージだ。
霧深き中を山中に暮らすモン族が行き交う山深き風景 - サパはそんなところであった。