富山を後にし、ローカル線に乗って金沢へ - 金沢は実に10ヶ月振り。まさか1年以内にまた訪れるとは。
今回はまず、前回訪れなかった金沢出身の世界的な仏教哲学者、鈴木大拙氏の記念館へ。
宿は昨年投宿したところ同じく村田屋さんという旅館にお世話になったのだが、ここは実にロケーションが良く21世紀美術館や兼六園、そして私の好きな香林坊エリアも歩いて直ぐというところで、今のところ金沢での私の定宿になっている。
地図で確認したら鈴木大拙館も宿から歩いて行けそうだ。一応宿の若いお兄ちゃんに鈴木大拙館までの行き方を尋ねると、大拙館にはよく行くらしく、森の中の小径を抜ける地図に載っていない道を教えてくれた。 - さすが地元の人ならではと言うか、この道が実に素晴らしく、雨上がりの中、散策するには実に気持ちの良い道だった。
秘密の?小径を抜けると大拙館の正面入り口ではなく丁度横側に出た。
「水鏡の庭」に浮かぶ「思索空間棟」の建物はさすが水を生かした建築で有名な谷口吉生さんらしく(谷口さんは以前私も訪れた丸亀の猪熊弦一郎現代美術館やニューヨーク近代美術館なども手掛けている。土門拳記念館も確かそうじゃないかな。)、しかし、その様はやはりわたし的には - 仏教哲学者の鈴木大拙氏の思索空間という事もあり - 現代美術館の建物というよりも寧ろ、インドなんかで見掛ける寺院の中にあるちょっとした沐浴場なんかに通じるものがあるようにも思えた。
歩いて来た道の先には更に真っ直ぐと進める道があった。行こうかどうしようか迷っていると竹箒を持って清掃していたおばちゃんが、「ちょっと先に行くと庭園がある。5分くらい。」と言うので先に進んでみると、果たしておばちゃんの言った通り、「松風閣庭園」と言うものがあり、池の近くにはおっちゃんが座っており、私が近づくと、すっくと立ち上がり、庭園についての説明を軽くしてくれた。 - ここはどうやら、江戸時代の加賀藩の本多家の庭園らしく、何とあの兼六園も元はこの庭園を参考に造られたとのこと。
しかし、この辺り一帯は地図で見ると本多町という町名になっているのだが、なるほど本多町の由来はここの本多家だったのか。まさに美しき庭園、池、自然美でした。
そして鈴木大拙館へ。入り口には咲き頃の百日紅、そして自然の中に静かに佇む空間 - 建物は3つの空間で構成されており、それぞれが「展示空間」、「学習空間」、「思索空間」となっている。
入ると直ぐに黒塗りの真っ直ぐと伸びた道、そこを過ぎると「展示空間」になっており、鈴木大拙氏の言葉や書、そして発行されている本やその内容が展示されていた。
大拙氏著の「禪とは何か」という本が展示されており、その横に本の内容が1部抜粋されていたので、一生懸命読んでいると(しかし、内容は実に哲学的で理解するのが大変だ。)、隣に男女がやって来て(顔は見なかったので、親子か、いや会話の感じは若いカップルだったようだと思うが)、男性が「これって昔の『禅』って言う字なんだよ。何か凄い難しいし今の字と違うよね。」みたいな事を言ったら、女性の方が、「へ~、確かに難しいね。でも何か蟬みたい!」と言う会話が耳に入ってきてしまい、それまで一生懸命理解しようと読んでいた哲学的文章の内容が一気に吹っ飛んでしまった。
確かに「禪」と「蟬」、字面は似てなくもないが、、発想がすごい。
「禪」と「蟬」・・・それも何か禅問答のようなものなのかもしれない。
水辺に浮かぶ「思索の空間」 - わたし的にはこの空間の中で、というよりも寧ろ水辺を挟んだ反対側からこの空間を眺めての思索が好きであった。
とても静かで時折聞こえてくる鳥や風の音を聴きながら、思索に耽ったり、瞑想したり。そして、そうだと思いつき、ここで昔ネパールで購入した「アヴァローキテーシュヴァラ」の真言(マントラ)の曲が丁度手元にあったので聴いてみることに。
イヤホンを耳に差し込み曲を聴いていると出だしでトンビが鳴くような「ピーヒョロロ」と言うような声が何処からか聴こえた(ような気がした。) - と同時にこの曲は昔、ダライ・ラマ法王の住む街、北インドのダラムサラでよく聴いており、そこでは宿から見える断崖絶壁の崖の向こうにトンビがよく飛んでいたっけな、と思い出された。
そもそもサンスクリット語の「アヴァローキテーシュヴァラ」は「観音菩薩」の事で - つまりはダライ・ラマ法王は観音菩薩の生き仏でもあるので、ダラムサラの日々なんかを思い出したのかなぁ、などなどと思ったりと、そんな事を沢山思索し自分の内側と向き合ってきました。