バガンから再びヤンゴンに戻って来た。 - 本来ならバガンからマンダレー、そして水郷の村、インレー辺りを巡る予定であったのだが、3日後の4月13日からはミャンマー全土で水かけ祭が行われる為、交通網が全面的にストップするとの事である。私は4月18日に隣国のバングラディッシュへ飛ぶフライトチケットを持っており、つまり最低でもこの日迄にはヤンゴンに戻っていなくてはならない為、泣く泣くという形でヤンゴンに戻る事にした。
更に北上して旅を続けたい気もしたが、仮にヤンゴンまで戻る手段がなくなるという最悪の事態を避け、早めにヤンゴンに戻って来た。 - こんなタイミングに水かけ祭か・・・と思っていたのだが、このお祭がとっても楽しく、今思えば逆にこの時期にミャンマーというかヤンゴンに居る事が出来て良かったと思う程である。
水かけ祭とは仏教暦の新年で東南アジア一帯では西洋暦の新年や中国暦の春節よりも重要とされ、何故だかは分からないのだが、人々に水をかけるのが無礼講で(聞いた話だと僧侶にはかけてはならないとか)、4月13日から4日間、ミャンマーでは道行く人たちに水をかけまくって楽しむという一大イベントである。
東南アジアはこの時期が1年で最も暑くなる季節であり、むしろ沢山水をかけてもらいたい、そんな季節である。
バガンからはヤンゴン直通の夜行バスに乗る事とした。かなりの悪路で途中途中、跳ねまくりでお尻が痛い、、そして何と言ってもここは敬虔な仏教徒が暮らすミャンマー - バスは巡礼バスになっているのか、途中途中に大きめの寺院があると、どうしても停まって巡礼したくなるのか、それとも折角だから通り過ぎるのも・・・という心境となり停車して、お祈りしたくなるのか、バスは夜間にも関わらず途中停車を何度も繰り返し、その度にみんなぞろぞろとバスを降り寺院参拝を繰り返す。その度毎に当然ながら目が覚め、結局バス旅は15時間掛かり、寝ぼけ眼のまま早朝5時にヤンゴンのバスターミナルに到着した。
見上げると頭上にはまだ半月が出ており、通りでは壊れかけた車を押し掛けする人たちあり、そんな中遠くに鳥が鳴く声も聴こえ、それなりにすがすがしい朝の到着であった。
さて、水かけ祭である。まだ4月13日前であるが前夜祭的に街は既に水かけムード - 当初どんなものか分かっておらずというか、それ程気にせず通りを歩いていたら(この日はバングラディッシュ行きの飛行機のリコンファームをすべく航空会社のオフィスに向かって歩いていた)、アパートの屋上からいきなり水を浴びせられた。びっくりして見上げると上で少年が笑っているではないか。道行く人達からの水攻撃だけでなく上からの攻撃もあるのかと、この時からちょっとばかし用心して歩くようになった。
それにしてもこの日は気温37度、私も近くの雑貨屋で早速水鉄砲を購入し、道行く人たちに水をかけまくり楽しんだ。
露店を除いて殆どのお店も朝からクローズ。本格的に水かけ祭が始まった。タイなんかの他の国でのやり方は詳しくは知らないのだが、ヤンゴンの水かけ祭の特徴と言えば、メインストリートに幾つかステージが設けられており、皆がステージに上がり、そこから道行くピックアップトラックや車に箱乗りした人々に向けて水を掛けまくるというものだ。車側もただやられるだけでなく、ドラム缶に大量の水を汲み、そこから放水して応戦してくる。時に氷水の車もあったりでこれはこれでとても冷たい。
映画館の前にステージがあったのだが、ステージに上がるには1,500チャット(2ドル弱)必要とのこと。うーむ、ステージ上でみんなで水かけをやるのは楽しそうでもあるのだが、お金を払ってまでは、、との思いから断り、通りを歩いていると、また別のステージを発見。
私がステージに上がりたい顔をしていたのだろうか、1人のおじさんが拙いながら英語で話し掛けてきてくれた。彼の名前はミョウさんと言い、色々話している内にただでステージに上げてくれることになり、ステージ上から地元の人たちと水かけ祭を楽しんだ。
ステージの上、ここにもドラム缶に入った水が大量にある。そして宿にはタイから来た人が以前に置いていった強力な水鉄砲があって、この日から私はこれを使う事にした。こう言っては何だがやはりバンコク辺りで売られている水鉄砲は最新式であり、ヤンゴンで購入したものに比べ威力が数段上である。
ステージ下に居る水鉄砲少年が時折水を分けてくれと私に言ってくる。彼の笑顔もまた素敵で彼とも何時の間にか仲良くなっていた。
翌日、また同じステージに出向くとミョウさんは私の事を覚えてくれており、この日もステージに上げてくれた。英語はそれ程得意ではなかったけど、「Myanmar Water Festival,Very Happy」、「Japan,Japan,No Water Festival?」などと話し掛けてくれ兎に角いい人であった。結局水かけ祭が行われた4日間、ずっとステージに上げてくれて、その間、毎日同じメンバーなので顔を合わせる内にステージ上の人たちともすっかり仲良くなった。
- ステージ横で私と水を掛け合って戦った少年少女たち、そして水を供給してるうちに仲良くなったステージ下の水鉄砲少年やステージで踊る小さな子供達、私に沢山水をかけてくれたミャンマーのおばさん達、英語がやけに流暢だったダンス好きな青年などなど、みな思い出深い出会いである。
ステージ上ではずっとダンス系ミュージックが流れていたのだけど、日も暮れかかった頃、しっとりとした音楽が流れ出した。これまでの曲と曲調も違うし、これで「フィナーレ」だ、と感じさせてくれる曲だ。
この曲は「ミャナンダー」という曲らしい。最後は皆でミャナンダーを大合唱しながら適当に通りに水をまいて踊ってという具合にして感動のフィナーレ。
一旦宿に戻りシャワーを浴びる。そして熱に照らされていた街が1日中、随分と水をまかれたお陰で、涼しげになり、そんな夕暮れ時の街に宿で出会った人たちと繰り出し、ビールをのむ。本当に最高の日々だった。