- モン省・チャイティヨー
ヤンゴンから北東へ約200km離れた場所に落ちそうで落ちない岩、そしてその岩を金ぴかに塗りパゴダに仕立てているチャイティヨー・パゴダ - 通称、ゴールデン・ロック - と呼ばれる不思議な岩がある。
この不思議な岩を出発前の日本で知ってからというものミャンマーを訪れた際は是非とも見てみたい!と思っていた。と言うよりもこの岩を見たいというのもミャンマーを訪れた理由の1つだったかもしれない。
それにしてもこのパゴダはミャンマーの何処にあるのか?ひとまずは地元に行けば大概の情報は手に入るので心配はしていなかったが、案の定というか、ヤンゴンで宿泊したフロントに1歩足を踏み入れると早速とでも言おうかこのパゴダの写真が貼ってあった。そう、やはり行く前にあれやこれや調べるよりも実際に現地を訪れると思っていたよりもずっと容易く情報は手に入るものである。
- ヤンゴンからバスで走る事約6時間、チャイティヨー・パゴダの起点ともなるべく町 - キンプンへ。到着した日は夕方近くという事もあり、ひとまず適当に宿を求め、翌朝、チャイティヨー・パゴダへと出掛ける事とした。
さて、このキンプンの町からチャイティヨー・パゴダまではトラックの荷台に乗って行くらしい。それにしても乗り心地が悪すぎるというか、舗装されていない道をひた走りトラックは曲がりくねった山道を登って行く。まるでジェットコースターにでも乗っているようだ。
そんな悪路を暫く走ると荷台から降ろされ、そこからは歩 いてパゴダを目指す。
最後はこの歩くというのが巡礼道のようでとてもよく、霧の立ち込めた山の頂の向こうに(正に)金色のパゴダが見えた時の感動はひとしおであった。
更に歩き進み、パゴダに入るゲート近くなると入場料を徴収している人が立っている。ミャンマーの人達は無料であるが外国人はここで6ドルを払わなければならない。さすがに見た目が違い過ぎるので私が外国人だと分かると直ぐに料金を徴収する人が近寄って来くる。因みに言うとこのパゴダは女人禁制になっており、岩の近くまで行けるのは男性のみである。
その為か女性達は遠くから、そして岩の下からこのパゴダに向かってお祈りをしているという風景をあちらこちらで見かける事になる。
それにしても見れば見る程不思議な岩である。何故落ちないのであろうか。
そして、この不思議な岩を金ぴかに塗ってパゴダに仕立て上げるという発想もなかなか凄いものである。一説に言うとこのゴールデン・ロックはブッダの遺髪の上に載せられているらしく、それ故に?落ちそうで落ちない、のであろうか。
帰る頃には霧も晴れ青空も顔を覗かせるような天気になった。帰りもまたトラックの荷台、である。それにしてもここはやはり聖地でもあるのか、それなりに着飾った人達もちらほらと見かける。やはり一世一代の聖地巡礼、ここは正装とでも言おうかお気に入りの服を着てお参りするのがそれなりに粋というものである。帰りのトラック、出発するまで荷台で待っていると鮮やかな赤い衣装を纏った女の子が荷台に乗ってきた。実に目にも鮮やかな衣装で、このゴールデン・ロック参りに映えた美しい出で立ちであった。
キンプンの町まで戻って来た。ここは特に見所もない。メインとなる通りが1本だけありその両サイドにお店が幾つかあるといった感じである。町中にはスピーカーからずっとお経というか声明が流れており、それが独特のリズムで、ちょっと町に異様さをもたらすようなリズムでもある。
ゴールデン・ロックを見てしまったらここでは特にやる事もなく、部屋で1人ベッドで横になり、時間が過ぎるのをやり過ごすだけである。暫くすると計画停電の時間なのか、電気が止まってしまい天井のファンも止まってしまった。ミャンマーというところは、何か自分の想像の及ばないような場所 - 別にそれが危険だとかそういう訳でなく、何かこれまで自分が見知っている国とはかけ離れている雰囲気で - そんな事もあったせいか、部屋に1人で居ると何だか妙に淋しくなってきてしまった。この旅に出てからこんな気分になったのは後にも先にもこの時だけである。
このまま部屋に1人で居てもどんどん淋しさは増すようで、やる事は特になかったが外に出る事にした。夕暮れ時、沢山の人が家の前で涼でも取っているのは寛いだりしていた。そんな彼らを交流する内にまた元気を取り戻してきた。やはりこんな時は気分を変えて、町中を歩くに限る、である。
何だかんだで結局色んな人の写真も撮らせてもらっていると、皆口々に「こいつがミャンマーの島田紳助、島田紳助、写真を撮れ撮れ」と言ってくる。ひょいとその人物の顔を覗き込むと果たして確かにその顔はミャンマーの島田紳助であった。