東チベットをバスでゆく - 郷城 ~ リタン・東チベット 2005

 昆明から大理、麗江、香格里拉と巡ってきた旅であるが、ここからUターンして昆明へ戻ってしまう旅人が多い中、私は更にその先の町 - 郷城(シアンチョン)を目指す事にした。この辺りからはもう雰囲気もそうであるが、住人も東チベットの人々が多くなってくる。

 この日は6時AMに起床し、香格里拉を7時半に出発するバスに乗り一路、郷城へ - 悪路且つ4,000mという高所を走るバスであったが、以前、マナリからラダックへ向かった時よりはマシであった。郷城に到着したのは夕方16時半頃で、バスもなかなかのおんぼろ具合で全身で振動を感じるバスであったが、兎にも角にも無事、9時間バス旅の後、郷城へ到着した。

 郷城は東チベット一地方都市を思わせる少しばかり鄙びた小さな町、遠くの丘に見えるのはチベット寺院だろうか、そんな町だ。

 以前、大理から麗江までバスで移動した際、車内にはオランダ人家族(夫婦と娘さん1人という構成)が同乗しており、どういう訳かその後、(街中ではばったり会う事はなかったのだが)、移動の度に同じバスになり、例えば、麗江から香格里拉も同じバス、そして今回、郷城までのバスも同じであった。バスの本数がそもそも少ないので、日程さえ合えば、そのように遭遇する確立は多くなるものであるのだが。。。

 郷城から先、私はリタンという町を目指していた。リタンでは8月のこの時期にホースレースが行われており、これを見るというのが今回の旅の目的の1つでもあったからだ。

 - 郷城のバスセンターへ行き、リタン行きのチケットを購入しようと試みるもケットの係員はなかなか売ろうとしてくれず、夕方にまた来いと言う。
 どうやら、バスはそもそもリタンの先にあるカンディンという町が終着点らしく、そこまで乗る乗客に優先的にチケットを売っているようだ(当然その方が儲けが大きくなるので)。

 という事で、夕方頃、そのカンディン行きのバスに空席があった場合にリタンまでのチケットを売ってくれるのだが、その時点でチケットは既に完売している事が多く、リタンまでのチケットは手に入りにくい、というか、ほぼ買えない、という事態が起こっていた。

 同じ宿で知り合った日本人旅人もリタンを目指していたがチケットが手に入らないので、小型のバンを1台チャーターし同じような境遇の人達とシェアしてリタンへ向かうという話を聞いた。

 そして、私も当然ここでリタンまでのバスチケットが手に入らず困っていたところ、バスセンターであの!オランダ人家族と遭遇。これまで言葉を交わした事がなかったが、彼らもこれまで毎回バスで見かける私の事は何となく認識はしてくれており、話を聞くと彼等もリタンまで行く予定だがチケットが手に入らずに困っているとの事であった。

 そんな訳で、我々の思いは一致した ー そう、結局我々もバンを1台シェアしリタンへ向かう事にしたのだ。私とオランダ人家族3名ともう1人、チケットが買えずに困っていた日本人旅人の5名、というメンバーで一路リタンへ。

 因みにこの時のバンでの移動で掛かった時間は約5時間で、値段は1人75元(約1,100円)だった。

 標高約4,000mに位置するリタン。このエリアはチベットの中でカムと呼ばれる東チベットエリアで、荒れくれ者が多いエリアとしても知られている。日本人で最初にチベットに到達した河口慧海の本なんかでも、この地で強盗に合った事などが記されている。。

 カムの男たちは大体が長身で髪を伸ばし髪飾りなんかも付け、馬に乗っているか、その馬に代わり最近ではバイクに乗っているという印象だ。とは言え、街中は治安が悪い訳でなく、どちらかという穏やかなというか、普通の町と何ら変わらない印象を宿している。

 到着後、早々にチベタンが多く暮らすエリアを巡り、リタンゴンパにも行って来た。タイミングよく寺院の敷地内では護摩焚きのようなプジャー(祈りの儀式)も行われており、チベットがぐっと近くなったのを思わせてくれる。ここの僧侶たちは皆、黄色の鶏冠のような帽子を被っており、ー この帽子はゲルグ派の象徴でもあり - ゲルグ派の僧院のようだ。

 リタンの町はメインストリートが1本通っており、そこに後ろ側から山というか小高い丘が迫ってくるような造りになっている。その高原辺りをぶらぶら歩いていると屈強そうなカムの男性が馬を放牧したり、丘を転がって子供たちが遊んでいる風景が広がっていた。

 カムの男性に写真を撮らせてもらうようにお願いすると、「おぅ、撮れよ」と言わんばかりに飲んでいたドリンクのビンを後ろにポーンと投げ捨て、決めポーズ。これぞカムの男、と言った感じであろうか。

 「雪は降ったが、悲しむな。雪の後には太陽の温もりが来る」と反抗の地、カムで歌われる。 

 ー河口慧海がその著書、チベット旅行記の中でカムについて書いた一節の通り、屈強なカムの男性の一面を垣間見た、そんな瞬間であった。