この夏、会期終了間際になって(因みに8/29で終了)ようやく行って来ました、デ・キリコ展
7月中頃に行こうと思った時は丁度東京都美術館の休館期間と重なってしまい、断念。8月の灼熱の中(まぁ7月も勿論今年は灼熱であったけれど)、伺って来ました。
折角上野方面に来たという事でまずは、御徒町駅で降りて、ベジキッチンというインドカレー屋さんへ。兎に角この日は暑いであったが、そんな日に食べるカレーもとても美味しく大満足。私は南インドのミールスにしました。
ここから普段なら散歩がてら美術館まで歩いてもいいかなと思うところであるが、流石に歩くのは憚られ、1駅だけJRに乗車。公園内を散策しながら美術館へ到着。太陽がこんなに燦々と照りつける中、歩くなんて!と言う気候で、外にいるだけで汗だくになり、この日だけで2kg位は痩せたかもしれない。
さて、今回の展示は作品は全て撮影禁止だったので、作品の写真はないのですが、出口のところにあったフォトコーナーなるところの1箇所だけ撮影OKだったので、その写真だけ1枚撮影してきました。
ー キリコと言えば、マネキンや遠近法を無視した構図、そして独特の不安を煽るような色彩のイメージがあり、まさしくそんな作品の数々・・・。他には自画像も沢山展示されていました。思った以上に自画像の作品が沢山あり、コスプレしたかのような王侯の衣装を着たものとか、、色々と楽しめた。
先程書いた、マネキンや遠近法を無視した構図とは一般的に形而上絵画と呼ばれ、キリコ絵画の代名詞のようなものである。要はゲシュタルト崩壊を起こした世界 ー 風景そのものが意味を為さない世界なんか表現している絵画、とでもいったところであろうか(簡単に言うと)。
そんなキリコの形而上絵画を実際に初めて直接見たわけであるけれど、それらの作品を一堂に見ていると(わたしの感想ですが)、写真を撮影している時に見ている(感じている)風景というか感覚に近いものがあるような気がしてきて、それはそれで不思議な感覚に陥りました。
街中で風景写真を撮る時にある一点をフォーカス(恐らく自分が撮りたいなと思っている辺り)し、ファインダーを覗くと、他の部分は何となくフォーカスが当たっている箇所との整合性がずれ、撮影の時に見ている風景と目の前の絵画がリンクし、これまでよく分からなかったキリコの形而上絵画が少しばかり理解ができたような気がした(そうそう、撮影している時って風景ってこんな感じになっているよなぁという感覚)。
まぁ、それはキリコの絵を目の前で見ながら、頭の中でのファインダーを覗いた時のイメージが重なる感覚であって、実際に撮影している時にそう見えているかどうかは謎なのですが。
そんな訳で芸術の秋の季節はやって来るのかも謎ですが、展示は目白押し - 別日ですが、久し振りに清澄白河に友人の展示を見に足を運んだら、清澄庭園なるものを発見し、散策を楽しんで来ました。
これまで何度も清澄白河には来た事があったけど、こんな庭園があるとは知らなかった。最後はゲリラ豪雨にやられてあえなく撤退、そんな夏の日々でした。