砂曼荼羅の世界 - スピトク・ゴンパ ~ ラダック・インド 2004

 ラダックの中心地、レーに到着した翌日から早速レーの街中を散策。遠くには王宮がレーの街中を見下ろすように聳え建っている。しかし、この地に居るとここがインドだという事が信じられず、マハトマ・ガンジーが描かれたインドのお札を使用する度に何だか不思議な気分になる。

 かつて、写真家の藤原新也氏が「標高四千メートルの真青な空の暮らして以来、いかなる土地に行っても空が濁って見える」とラダックの空を表現した通り、ラダックの空は半分位宇宙の黒が混じっているのでないかと思う程に澄み切った群青色をしている。

 乾いた大地に乾燥した風が吹きぬけ、街中は茶色のイメージ、空を見上げると真青な空にチベットの祈祷旗・タルチョが風に靡き、チベットの教えが風に乗りどんどんと世界に広まっていく。

 レーの街中から1番近い場所に位置するスピトクゴンパへ出掛けてきた。この時期、タイミング良く寺院内では砂曼荼羅の制作真っ最中であった。

 制作は交代しながら基本4人の僧侶達が色とりどりの砂を先が尖った筒状のもの入れ、その筒の脇をカリカリカリっと擦りながら少しずつ砂を落としていきながら下書きのデザインに沿って制作している。実に繊細な作業だ。描くのは中心からでそこから徐々に大きく広がっていくようだ。

 今、どれ位完成しているのかはまだよく分からないが、制作風景を見られただけでもラダックに来た甲斐があったというものだ。完成は4日後とのこと。完成したらまたここを訪れてみよう。
 
 後日、今度はティクセ・ゴンパへ。超小型のバスに揺られる事40分程で到着。ラダックで乗るバスは全てではないけど、小型のバスが多く、車内で立っていると首を傾けないといけなく、少々疲れる。やはりここまでバスを持ってくるだけでも大変なので、どうしてもコンパクトなバスが多くなってしまうのだろうか。

 真青な空をバックに崖に聳え立つティクセ・ゴンパ。ラサにあるポタラ宮殿はレーの王宮をモデルに造られたと言われるけど、わたし的にはどちかと言うとこのティクセ・ゴンパがポタラ宮殿に近いような気がしてならない。実に壮麗だ。

 そのティクセ・ゴンパを見上げる形で麓にあるカフェで、ここラダックまで一緒にやって来た旅仲間と共にミントティーを嗜む。ミントティーはラダックに来てからすっかりのお気に入りで、思えばラダックではこればかり飲んでいたような気がする。近くではポプラの?木々が風にそよぎ、見上げるとティクセ・ゴンパという具合に何とも贅沢な時間を過ごす日々。

 そしてティクセ・ゴンパを訪れると僧侶の方々はみな親切で、快く中に招き入れてくれ、お茶をご馳走してくれた。ラダックの僧侶の方々はみな親切でとても愛想がある - どこのゴンパでもそんな印象が強く心に残っている。

 ー さて、砂曼荼羅がいよいよ完成するというその日、急いでスピトク・ゴンパを再訪。しかし到着した時にはもう既に完成していた。正に完成したというその瞬間を見届ける事が出来なかったが、完成した砂曼荼羅はガラスのケースに収められ寺院内の中心に置かれていた。それにしてももの凄い出来栄えだ。

 この砂曼荼羅、4日後には祈祷を行った後、壊してしまい、その砂は近くの川に流してしまうそうだ。折角作ったのに壊してしまうなんて勿体無い!と思うのは私のような凡人の考えであろうか。しかしその行為は全ての万物は流転する、というこの仏教の教えをよく実践しているものでもあり、また何事にも囚われないという精神性をよく現しているもののようにも思える。

 4日後の解体時にも再度ここを訪れ、その様子を1部見る事ができた。そして全ての行事となる祈祷など終了後、記念にと、砂の1部を頂く事ができた。ありがたいものである。

 この様にここレーでは基本、道中出会った旅仲間と一緒にちょっとしたカフェで語り合ったり、ゴンパ巡りをしたりの日々であった。こんなにチベット仏教を身近に感じたのは私の人生で初めての経験だったように思う。

 どこまでも青い空とその空をバックに聳えるゴンパの数々。どのゴンパを訪れてもみな歓迎し院内に招き入れてくれ、お茶などをご馳走してくれて彼らと暫し談笑する毎日。

 チベット世界が確かに残っている、ラダック - チベットよりもチベットらしいと言われる所以を垣間見る事ができたように思える。