ドイツの面影残す街角で - 青島・中国 2005

 2004年7月にダラムサラを訪れた後は、デリーに戻りそこから結局バンコクを経由し日本に戻って来た。ダラムサラ滞在中にチベット熱が高まり、是非ともチベットの中心地・ラサに行きたいと思うようになり、パキスタンから一旦中国に入り、そこからラサを目指すルートも考えたが、なかなか厳しい道程でもあり、1年ほど旅した身としてはなかなか辛いかとも思い、結局日本に帰り数ヶ月滞在した後、再スタートする事にした。2003年に冬の為、訪れる事が出来なかった雲南省もこの機会に是非とも巡りたい、とそんな理由もあり、今回は3ヶ月ほどの予定で中国とチベットを旅する事にした。

 そして、今回も旅の始まりはやはり船を利用する事にした。調べてみると下関から青島までの船便がある。そんな訳で2005年6月30日、まずは長崎から下関へ ―

 - 下関では部屋から関門海峡が見渡せるユースホテルに1泊だけ滞在し、翌朝港へ。丁度町まで出掛けるという宿のオーナーさんに港まで送ってもらいターミナルへは10時30分AM到着。出港は13:00の予定なのでそれまでターミナル周辺を歩いたり、スタバで本を読んだりして過ごした。これから再びの中国だ。今回はどんな旅になることやら。

 下関から青島までは約27時間の旅の予定である。乗客はたったの7名とのこと。はっきり言って船内にあるレストランの従業員や船で働いている乗組員の方が多い。きっと貨物メインの船で、乗客はおまけ、のようなものなのであろう。

 船旅は実に旅情溢れていいのだが、いかんせん27時間ともなるとやる事もない。おまけに乗客はみな1つのだだっ広い雑魚寝部屋をあてがわれているのだが、7名しか居ないので1人1人の距離が広く、気軽に話しかけ合うような雰囲気でもない。仕方がないのでごろんと転がったり本を読んだり、大浴場でシャワーを浴びたりして過ごす。大浴場と言ってもお湯が張られている訳でもないのシャワーだけ。なので、部屋でごろごろし、暇になったらシャワーでも、という事で何度も何度もシャワーを浴びて体がふやけそうである。

 翌日の夕方4時ようやく船は青島に到着。またあの喧騒が始まるのか、と思うとちょっとテンションも高くなる。結局のところ、中国旅は楽しいのである。
 船が港に接岸し、列を作って下船を待つ間、ようやく乗客1人1人の距離も縮まったという事もあってか、私の後ろに並んでいた日本人男性に話掛けられた。この方、K田さん(58歳)。後々話して判明するのだが、この度中国へはお嫁さん探しに来たらしい。青島の後は北上し、黒竜江省のハルピンでお見合い?みたいなものに参加するとの事であった。

 このK田さんが船内で知り合ったという地元・青島出身の李くんは下関の大学に留学しており、丁度、船を利用しての帰省のタイミングで、彼が宿を紹介してくれるというので一緒にどうですか、と誘われ、私も特に宿は決めていなかったので、ひとまず青島駅近くへバスで一緒に向かうことに。

 到着後、李くんの彼女も合流し、どこか宿を紹介してくれるのかと思いきや、李くんの叔母さんを紹介され、その叔母さんの子供たちが最近まで?使っていたという部屋を紹介してくれた。この部屋というのが叔母さんが住んでいるアパートと同じ棟にあり、いわゆる、地元の人達が普通に暮らしているアパートであった。

 部屋にはちゃんとベッドが2つあるしキッチンなんかもある。1人1泊、50元(約750円)でいいという。地元の人達が暮らしているアパートに滞在できるなんて、何だか面白そうだ。という事で即決し、ひとまず荷を降ろし、少しばかり休憩。

 夕方近くになってK田さんと町に繰り出し、早速青島ビールで乾杯!なんとも面白い旅の始まりである。

 玄関の扉を開け、外に出るとどこからともなく八角のようなスパイスの香りが漂ってくる。
ー 翌朝、K田さんは、お世話になりました、と置手紙を残し、私が起きた時にはもうハルピンに向け出発していた。結局この後、連絡は取ってないが、無事、お嫁さんは見つかったのであろうか。
そんな訳で、この日から思いがけず青島での1人暮らし生活が始まった。地元の人達に紛れ、旅行者としてでなくここで暮らしているような日々は実に快適であった。

 この日は海沿いの街を散策したり、小魚山公園という見晴らしのよい場所に出かけたりした。この頃の青島は新婚旅行者に人気のスポットであるらしく、昔の日本でいう宮崎や熱海といったところであろうか。元、ドイツの租借地だったという事もあり、オレンジ色の屋根瓦やヨーロッパ風の建物は美しく、街中も清潔で綺麗である。そして、さすがはドイツ人が残した技術なのか、青島ビールは今やすっかりメジャーなビールであり、街中を歩けばあちらこちらで新鮮な生ビールを量り売りしていたりする。

 そして、ここ青島がある山東省は餃子としても有名な町である。ビールも美味しいと餃子もうまいとくれば言う事なしである。

 もう1つの観光地と言えば八大関風景区と呼ばれるエリアで、海の近くにあるこの地も風光明媚で美しいところだ。街中で結婚式の前撮りをしているかと思えば、少し路地に入ると庶民的な風景が広がっていたりと兎に角青島は街中を歩いてて飽きる事がない。

 青島では暫く1人暮らしを堪能した後、列車に乗って次の目的地、山西省の太原へ。久々寝台列車に乗り込むと、懐かしさが込み上げてきた。中国の旅はやはり列車旅に限る、改めてしみじみとそう思った。そして、今回もいい旅ができそうな順調な旅の滑り出しであった。