2005年8月3日 5時40分AM起き。東チベットのリタンは雨。6時30分AM発のバスに乗り一路、東へ ー カンディンという町を目指す。長い長い山道を抜け、カンディンには結局4時PM頃に到着し、思った以上の長旅であった。
ここは渓谷に囲まれた中にある、なかなか面白い町だ。
結局カンディンには1泊だけしここから四川省の成都へ。再び東を目指す。カンディンから成都まではバスで6時間ほど。久々にトランクもちゃんと付いた大きなバスに乗り込む。
道中もきちんと舗装された道でとても快適だった。しばらく東チベットを回っていたので、成都に来ると否が応でも大都会っぷりを感じる。例えが適当かどうかな気もするが、何だか昔、バスでカンボジアからバンコクに入ったみたいな感じを思い出した。
さて、ここからラサまでは飛行機が飛んでいる。一気に飛んでしまうのは楽であるが、陸路で行く方法もあるので、どうしようか思案したのだが結局飛行機で飛ぶことにした。これまでの旅の疲れもあるし、陸路は陸路でそれなりのリスクもあるからである。幸い、成都で宿泊していた宿のフロント横に旅行代理店があり、ここでラサまでのフライトとパーミッションも用意してくれた。
成都に来てから1週間後、7時40分AMのフライトでラサへ ー 飛行機は2時間ほどでラサの空港に到着。何だかあっけない。途中、窓の外には雲の中から頂を現すヒマラヤの山々を見る事ができた。こんな光景、この先なかなか見る事が出来ないだろうな。とても神々しい風景であった。
ラサの空港に到着後、ローカルバスで市内へ。到着後バスを降りるといきなりハスキー犬の子犬と出くわした。そう、ここラサは標高4,200mという富士山よりも高いところにあるのだが、こんな高地でシベリア産のこの犬はこの先どんな人生(犬生?)を送るのだろうか。
それにしても、町が想像以上に遙に大きい。こんなところにこんな巨大な町を作った昔のチベットの人達には感服させられてしまうばかりだ。
到着後、宿を2軒ほどあたり、2軒目の宿に決めた。部屋はドミトリーと言ういわゆる共同部屋だったけれど、運良く窓側のベッドが空いており、しかも部屋の窓の向こうにはポタラ宮殿が見渡せるという最高のロケーションであった。
ラサに到着して数日後、成都からの飛行機内で知り合った日本人教授(この方は日本の大学でチベット学を教えており、この時何と15年連続でラサに来ていた)に誘ってもらい、教授行きつけのチベット料理屋へ連れて行ってもらった。店内に入ると既にお店の方々とは馴染みらしく、早速チベット語で世間話を始めている。羨ましい限りだ。
そんな中、お店の子供で小さな女の子が我々外国人が珍しいのかドアの隙間からこちらを興味深そうに覗き見している。教授がこちらに来いと手招きしても恥ずかしがってか、ドアのところからじーっとこちらを見ているだけである。
はにかんだその笑顔がとても素敵で、沢山のチベット人がインドへ亡命などしている昨今、彼女はここラサでこれからも幸せな人生を歩んで欲しい、そう願わずにはいられない素敵な笑顔であった。
さて、先述したポタラ宮殿である。ここは歴代のダライ・ラマ法王の住処として知られるところであるが、夏の暑さを凌ぐため夏はノルブリンカ宮で過ごしていたという事もあり、正確にはポタラ宮殿は法王の冬の住処である。
ちなみに法王がインドへ亡命した際はノルブリンカ宮から出発し、ここにはその時の時刻を示す時計がその時の時刻を示したまま止められたままであるという。
という事で今は主人なきポタラ宮殿がチベットの町外れにラサに暮らす人々を見守るように聳え立っている。私は今の主人なきポタラ宮殿の中にはあまり興味はなく、ここを中心として宮殿の周りの道を時計回りでぐるりと一周(いわゆるコルラ道)することにした。
コルラ道には当然の如くマニ車(中にお経が入っており、1回回すと1度お経を読んだことになる)が設置してあり、それを回しながら歩き、そして周りの多くのチベタンたちは読経しながらコルラしていた。
宮殿の裏手はちょっとした広場になっており、そこには池というか湖があり、その近くではチベタンの親子が楽しそうに遊んでいたりする。
すっかり漢化が進みつつあるラサであるが ー ラサはチベット語で「神の地」、「仏の地」と言う意味 ー 歴史深い巨大なこの町で出会った人々はみな信心深く、そして今与えられた環境の中で精一杯生きている、そんな姿を私に見せてくれた。