2003年後半から2005年に掛けて1年3ヶ月ほどアジアを旅していた訳だけれど、その途中に立ち寄った中国・福建省の厦門(アモイ)。港近くに宿を取り毎日のように港へと出掛けては、海や行き交う船をぼーっと見つめたり、時には船に乗って5分程で到着する、すぐ目の前の島 ー コロンス島へ出掛けたりとそんな日々だった。
或る日の事、いつものように船乗り場に行くと、そこに「金門島」という文字を見つけた。その直ぐ横には「外国人渡航禁止」のような文字があり、外国人は行けない島?という事で気になったのだが、それが金門島を初めて知るきっかけとなった。
「外国人渡航禁止」という文字を横目に大量の中国人達は桟橋へと歩を進め、船に乗り込んでいく。後から知ったのだが金門島は台湾領という事で外国人はこの時は厦門からは行けないようであった。
台湾本土とは200km以上離れ、厦門からは僅か5kmほどの位置する金門島。ここが台湾領とは驚くばかりだ。台湾からは飛行機で行けるらしく、いつか行ってみたい、と思いつつあれから20年も経ってしまった。
台北、台中、そして南の高雄からも国内線がある金門島。アクセスは良さそうだ。私は今回台北から飛ぶことにした。行きの飛行機はプロペラ機でした。
出発前の台北は小雨模様だったけど、到着した金門島は青空が顔を覗かせていた。清々しい秋の陽気だ。
国共最後の激しい内戦の地となった金門島。そんな歴史とは裏腹に街は実にのんびりとした雰囲気であった。空港へは事前に連絡していた宿の方が迎えに来てくれて、一路、島一番の繁華街である金城エリアへ。途中、金門島といえばの高粱酒の工場も車窓の風景として流れていく。この辺りは何てことない、どこにでもある風景。
「金門島へ行ってあの頃(2004年)の旅に決着(ケリ)をつけてくる」とか「金門島から厦門を眺め2004年に旅していた自分を見つめてくる」なんて、出発前に冗談混じりで友人らに話していたのだが、宿に到着し、一旦荷物を置いて街中を歩いていると、そういう風に言っていた事なんてすっかり頭から抜け落ち周りの景色に魅了されてしまった。
街中を歩きながら、この気候、この海から吹いてくる風の感じ、そして何よりも街が醸し出す匂いというか雰囲気からか、「ここ厦門っぽいな〜」なんていう言葉が自分の中からすっと出てきた事に何よりも驚いた。
宿の近くには模範街と呼ばれる謂わゆる煉瓦造りの閩南建築の通りがあり、バスターミナルから少し坂を下りその模範街を抜けたところに今回滞在した宿があり、何処かに出掛けた帰りはいつもこの通りを通る事になるので、たまたまネットで予約した宿だったけど、それだけでもこの宿にして良かったと思えるところであった。勿論宿も、宿の人たちも素敵な方々でした。
宿の方にも教えてもらったのだが、バスターミナルへ行くとA線やB線など観光ルートを記載したバス路線地図がある。
時間を見るとB線が午後13時発の便がある。私がちょっと行ってみたいと思っていた島の北部の方にも行くようなので、とりあえずこれに乗ろうかなと思ったのだが、タイムテーブルの時間の見方がよく分からない。
地図には各停留所の到着/出発時間が記載されているのだが、ある停留所はバス到着して10分後とか20分後の出発時間の記載となっている。しかも到着と出発の時間が1つずつしか記載がないので、1日1便??この出発時刻にある便を逃すと、次の時刻の記載がないが、どうやって帰ってくればいいのだろう?しかも行きたいところには到着後10分後の出発となっているのでゆっくりできないな、、とも思いつつも、取り敢えずは行ってみてから考えようとバスに乗り込む。
と、バスに乗ってから分かったのだが、これは完全なる謂わゆるツアーバスで、名所名所をバスで巡って行くというものだった。なので自分が好きなところまで行って降りられる訳でなく、他のツアー客と一緒にある地点でバスから降りて観光し、観光後はまたバスに乗り込んで次の目的地へ向かう、というものであった。
値段は126台湾ドル(約600円)なので、この値段での名所巡りのツアーとしては格安な気もするが、この安さのため、私はツアーバスという事に最初気付かなかった。
因みにローカルバスの方は完全なる地元民の足なので、停留所がもの凄く多かったり、観光名所を巡る訳でないので、何処かに行くとしたらやはりこのツアーバスを利用する事になるので、自分で好きなところだけ巡りたい方はバイクをレンタルしたがいいかもしれない(実際私は翌日バイクをレンタルした)。
とはいえ金門島はかなり見所もあるので、色々回ってくれるという面ではこのツアーバスも悪くはないと思う。ただ、色々な施設に入ってビデオを見たり、同行するツアーガイドさんが色々説明してくれるのだが、いかんせん私は中国語が全く分からないので、一長一短かもしれない。
そんな訳で私のバス路線の謎が解けたところで一路、金門島の北、国共内戦が最も激しかった場所、古寧頭戦場跡地巡りへとバスは走る。
その後、北山洋楼という弾痕の跡が残る洋館やら見学し、結局4時間のツアーでこの日はこれだけで終わってしまった。。最後、どこぞやのCafeに立ち寄ってしばしの休憩。ここから対岸、厦門の摩天楼のような景色を見た訳だけれど、私が見たいと思っていたのは金門島の左隣にある小金門島からの厦門の景色 ー ここからだと厦門まで僅か2km、そして今見ている厦門の景色の中でも、もう少し港寄りのところを見る事が出来るようなので、そこから見たいと思ったいたのだ(翌日はそこへ出掛けることに)。
それにしても対岸の厦門はやはり近い。しかし結局のところここから厦門を見た感じ特にこれと言った感慨はなかった。
それよりも寧ろやはり、街中を歩いている時が、2000年代の中国というか福建を感じたり、そんな中にも台湾らしさを時折感じたり、でもやっぱり大陸的だな、と思うところがあったりと様々な感情の起伏のようなものがあった気がする。
勿論、ここからの景色も好きでしたが。
ー 夜、食事も済ませ宿に戻ってシャワーを浴びた後、TVをつけっぱなしで日記を書いたりしているとドンドンドンと部屋をノックする音が。さっきTVを付けた瞬間、音量が大きくびっくりして小さくはしたのだが、それでもまだ音が大ききくて隣の部屋の人が何か言いにきたのかな、、?と思いドアを開けると宿のオーナーの前に女性が居て、指でちょっと、という形を作り「Would you like〜」と切り出してきたのでやはり、と思ったら、、
「Would you like to drink a Kinmen traditional Kaoliang with us?」というお誘いだった。この時、初登場の女性はオーナーの奥さんで彼女は英語が出来たので(因みにオーナーの方はほぼ英語ができなかった)、その後のコミュニケーションでは非常に助かった。
高粱酒は興味があったのでお酒の誘いとはありがたい。
宿の1階にある小部屋みたいなところに降りて行くと15歳になった息子(何とこの日が誕生日だった)もソフトドリンクで同席。そんな中、我々大人は金門島の地酒・高粱酒で乾杯。高粱はとうもろこしの一種らしく、アルコール度数は58度もあった。小さなグラスについで、クッと飲むとカァーッと熱さが胸の中に広がる感じで、私はこの種のお酒はあまり得意ではないのだが、飲んでいる内に慣れてきたのか、とても香り豊かで美味しいと思えるようにまでなった。
地元で造られたお酒をその場所で地元の人たちとのむ、これってやはり旅の醍醐味というか、旅の楽しみの1つでもある。
あの厦門のフェリー乗り場で「金門島」という文字を見てから20年。そして今こうして金門島までやって来て、地元方々と地元のお酒を飲みながら、20年前の厦門での出来事なんかを話しているなんて何だか人生の不思議さというものを感じるというか、それにしてもあれからもう20年も経ってしまったか、なんて思いを馳せるそんな旅の始まりだった。