宿に置いてあったヨロン島ガイドマップ - 島の地図、南の方に気になるイラストがあった - それは、顔を布で覆った人物と仮面を被った人物が描かれたイラストだったのだが、特に何も説明が記載されておらずただイラストだけが描かれており、まぁ島のお祭りか何かだろう位に思っていた。
それは与論の十五夜踊のイラストであった訳なのですが、今回はタイミングよく滞在中にこのお祭り開催の時期と重なり運よく見る事ができた。
場所は与論島の南にあるサザンクロスセンター近くの琴平神社だ。そもそもこのお祭りがこの日(5月4日(旧暦で開催される為、年によって開催日が異なるので注意))に開催されるのは宿の女将さんが教えてくれ、時間は15時とか16時位からとの事で、それ位の時間に行けば見られるだろう、との話だった。
ここを訪れる前の時間まで、島の観光地をバイクで巡っており、場所によってはなかなか立ち去り難し、のところもあったけど無事15時に琴平神社に到着。赤い鳥居の日本的な神社で、鳥居をくぐり坂道の参道を上ると、相撲の土俵がどーんと中央にある広場が広がっており、ここが今回の会場になっているようだ。
会場は開催を待つ多くの人たちで既に賑わいを見せていた。
基本的に無料で誰でも観覧できるのであるが、500円で観覧席のチケットが売ってある。パンフレットとイヤホンによるガイド付きで、当日限定15名と記載があるが、聞くとまだチケットはあるようで、折角ならとこちらの席で観覧する事にした。ひとまず早めに会場に到着しておいてよかった。
因みにこの時にチケット販売時に対応してくれたお兄さんが、翌日に大金久海岸で偶然遭遇し、ハンモック貸してくれた人でした。(その時の事はこちらのブログで)
パンフレットによると与論十五夜踊は「1561年に当時の与論島世之主が、嶋中安穏・五穀豊穣・無病息災を祈る祭事として、与論島内・奄美群島・琉球・大和の芸能を学ばせ、1つの芸能にまとめあげたもの」とある。
開催時期については「毎年、年3回の旧暦3月・8月・10月の十五夜に行われる」らしく、最初に書いた通り、今回は運よく滞在の期間と重なってくれ、見る事ができてラッキーだった。
テント内の観覧席を1つ確保し、始まりまで待つ。 踊り手は1番組と2番組に分かれているらしく、2番組は紺の衣装を身に纏い、シュパという頭巾を被って踊るようだが、その準備風景から観る事ができた。私はお祭りなんかでは、この準備段階から見るのが好きで、俄然気分も盛り上ってくる。
まず神事の祈りが捧げられ、向かって右手にスーツに身を纏った方々数十名が腰を降ろす。どうやら上座はこちらので、踊りはこちらの方に向かって行われた。
最初は2番組の登場で、こちらは琉球風のものだ。
ゆっくりとした手踊り・扇踊りは、実にたおやかで優美さを感じさせてくれる。
続いて1番組の登場だ。
こちらは本土風のもので、寸劇仕立ての踊りとなりマイクを通しての台詞もある。
台詞は全て与論の古い方言で語られ、竹と紙で作った大きな仮面を被っての演出となっている。喋りが実に細やかというか、ちょっと滑稽でもあり、時にコミカルに時に悲哀を満ちたりと台詞と踊りが一体となり、みな専属の役者さん達ではないとの事だけど、実にプロフェッショナルさを感じさせてくれる素晴らしい寸劇でありました。
破れ傘の踊りは、大名から傘を購入してくるように命ぜられた使いのモノが都の人に騙されて破れ傘を購入し、大名に叱られてしまい悔しがる使いのモノ。。しかし、傘売りが教えてくれた踊りを披露し、大名の機嫌が良くなっていくというような内容で、こちらの演目がわたし的には1番好きでした。
1番組の演目が終了すると今度はまた2番組が登場し、先程とは違った演目を披露してくれる。1つの演目は10分ほどで、これを交互に繰り返して踊りを奉納していくという図式だ。
1番組と2番組の交互の奉納踊りは1時間ほど続き、最後は両組円になって祝い歌を歌いながらの踊り、そして仏歌となってゆき、最後はお決まりとでも言うか観客席の人たちも巻き込んでのカチャーシーとなり会場のみんなで踊って終了、と最後は琉球的な終わり方でした。
島に昔から根付いた伝統芸能というものはやはり素晴らしく、そう言えば海岸なんかでもたまに1番組の白いお面が描かれるのを度々目にしたけど、これらの踊りは島民のみなさんと深く結びついたものなんだなぁと思わせてくれた。
年に3回の開催で、毎回内容も違うとの事で、また違った時期にタイミングが合えばいつか行ってみたい。与論に行く理由が1つ増えたそんな十五夜踊でした。